私が21歳のとき、親友は亡くなりました。それまで、自分が「生きている」こ...

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人生を変えた親友との別れ

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私が21歳のとき、親友は亡くなりました。それまで、自分が「生きている」ことを当たり前のように捉えていましたが、このときそれがいかに「尊いことなのか」を身を持って知りました。


それまでの私は、とても皆さんにお話できるような人生を歩んでいませんでした。もともと勉強自体に関心が薄かったのですが、高校入学を機にまったく興味を失い、それから数年間はダラダラと惰性に身を任せた日々を過ごしていました。

親友とは、そんな私が高校1年のときに知り合いました。3年間同じクラスだったということもあり、青春時代という貴重な時間を最も共有しあえた仲だと思います(私は特定の友達と深く付き合うタイプなので、本当にコイツとしか語り合えない思い出がたくさんあります)。


私はとくに何も考えず日々を過ごしていましたが、親友は私とは違い、明確な目的を持っていました。大学に進んだあとも、目的を達成するために併行して専門学校へ通うなど、その努力は端から見ていても十分伝わってきました。


しかし、そんな親友がある日突然、亡くなりました。前日は何事もなく過ごし、寝入ったそうですが、そのまま起きることはなかったそうです。私は大学の図書館前の踊り場で、この事実をおばさんから携帯電話を通じて知りました。


はっきり言って、まったく実感がありませんでした。人間不思議なもので、あまりに非現実的な出来事に直面すると、それを何事もないように受け入れてしまえるのです。

「…はい。分かりました。では、知人に連絡を回して通夜のことを伝えておきます。」


今思い返しても、親友が亡くなった報告を受けた者の態度とは思えません。それから私は高校のクラスメイトを中心に連絡を回し、当日の通夜へ赴きました。これは自分でも驚いていたのですが、その間涙が一滴も出なかったのです。表面上は、場面が場面だけに悲しい雰囲気を装っていたのですが、このときばかりは自分の冷酷さに嫌気を覚えました。


会場へ到着し、たどたどしい所作でおばさんにお悔やみの挨拶を済ませ、席に着きました。式が進行し、いよいよ最後の対面を迎えることになりました。あと2、3歩で亡くなった親友の顔が見える。そんなときでさえ、一向に「悲しみ」という感情が湧き上がってきませんでした。


そして、1歩、また1歩、歩を進め、ついに亡くなった親友と対面しました。…私は初めて「リアル」を知りました。その瞬間、理性がふっとび、涙と嗚咽が溢れ出しました。しばらく放心状態が続きましたが、他の友人達の支えもあって何とか立ち直ることができました。

そのあと、残っていたのは自分に対する情けなさでした。なんで、こんなに頑張ってたヤツが突然人生を終えて、俺みたいに適当に過ごしてるヤツが生きているんだ…。それから数ヶ月、私はこれからの人生について自分なりにあれこれ考えました。


その中で出会い、そのあとの私の人生に大きな影響を与えてくれた言葉をいくつか紹介します。


「『死』を実感することで、初めて『生』の価値に気付く」

「『死』をはじめて実感するのは、
        自分にとって本当に親しい人が死んだときである」

「その出来事を価値あるものにするかしないかは、己の行動次第である」

「誰かの心に存在し続ける限り、その人は“生きている”のだ」

「辛いことを知っているからこそ、人に優しくできる」

「時計の針は元には戻らない。だが、自分の手で進めることはできる」

「一生を終え、のちに残るものは、
        自分が集めたものではなく、自分が与えたものである」


「親友の死」とこれらの言葉が、今、私が歩んでいる道を作っています。親友の『死』を嘆き続けても仕方ありません。それは事実であり、それが変わることは決してないからです。それを受け入れ、今後にどう活かすか。そして、親友の死をただの出来事でなく、本当に価値あるものにすることこそが、親友に対して自分ができる最大の感謝ではないかと思っています。


今でも当時のクラスメイト何人かとは、毎年1回は集まるようにして親友に会いに行っています。そこで、親友とおばさんやおじさんに近況を報告し、お互いに刺激しあっています。もちろん、これはこの先も続けていくことは言うまでもありません。


悲しいかな、私は親友の死のおかげで劇的に人生が変わりました。これはどれだけ感謝してもし足りないことです・・・ありがとう。

投稿日:2005年11月01日 01:00
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