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ロシアのハイパーインフレ。計画経済から市場経済への移行

今回はロシアのハイパーインフレ(1990年代初頭)について研究してみました。といっても、ソ連からロシアへの移行期だったからか、あまり統計データが見つからず、出来事中心の読み物となってしまいました(汗”)

 

ロシアのハイパーインフレ

・ロシア経済の推移

92年93年94年95年96年97年
実質経済成長率約-15%-8.70%-12.70%-4.10%-3.61%1.38%
物価上昇率2508%839%215%131%22%11%
財政赤字21.8%-----
失業率4.77%5.29%7.23%8.53%9.61%10.82%

(参考)世界経済のネタ帳
(参考)ロシア連邦:体制移行の現状と今後の課題-能勢学 小田島健

ロシア国家統計庁によると、91年の物価上昇率は160%、92年は2508%。(リンク先ないため未確認)
失業率に関しては、賃金未払いなどを合わせると2ケタを超えていたという意見もあります。

 

1989年、85年からソ連共産党書記長[党首]を務めていたゴルバチョフが、第二次世界大戦後から続いていたアメリカとの冷戦に終止符を打ちました。

※直接武力衝突して殺戮を伴う戦争を生じなかった為、殺戮を伴う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。(wikipedia)

また、同時に進められていた政治体制の改革[ペレストロイカ]によって、それまでの一党独裁制[計画経済]から民主化[市場経済]への移行が始まりました(経済体制の移行は92年から開始。92年6月末時点、国営企業の民営化は小売店で4%)。

 

しかし、それまでは中央政府が生産・分配・流通・金融を計画的に運営[計画経済]していたため、いきなり民間がその権利を手に入れて[市場経済]も、どうしてよいのか分からず市場は混乱してしまいました。

さらに、ソ連の主導のもと東ヨーロッパ諸国を中心に共産主義諸国の経済協力機構として結成されたコメコンが、冷戦終了とともに解散したことで、生産(税収)は大きく減少していました

※コメコン諸国は、各国が比較優位を持つ製品を集中的に生産し、貿易を通じて全体で最適な生産を行っていました。そのため、コメコン解散により各国との貿易が途絶えてしまうと、自国だけでは製品が思うように作れなくなってしまうのです。

 

また、冷戦時に行われていた軍備拡張(90年の対GNP軍事支出は7.1%)や民営化を促すための補助金(赤字補助など)の捻出によって財政は赤字が続いていました。そして、この不足分を中央銀行による国債引き受け[増刷]で調達していたため、通貨供給量は過剰に。

加えて、計画経済時は国営企業が各製品を“独占的”に供給していたため、その権利が民間の手に移ると、不当に価格を吊り上げて利益を得ようとする者が続出。その結果、高い水準のインフレが発生しました。

※商品を独占的に供給している場合、それが絶対欲しい人は、値段がいくらになってもそこから買うしかないので、売り手側は不当に価格を吊り上げて利益を拡大することができます。このため、市場経済を導入してる各国は独占禁止法を定めています。

※元国営企業には、不当な価格吊り上げを防ぐため、「既存の製品は価格水準を維持して販売すること」というルールが設けられていました。しかし、新製品に関しては価格を自由に設定できるため、どこも少しだけ形を変えて新製品をつくり、政府の監視が届かない闇市場で高値で販売していました。

 

そして、民営化の移行が進むにつれ、これら問題はより顕著になっていきました。さらに、これまでの計画経済では、「労働は国民の義務」とされ、失業者はあまりいませんでしたが、民営化により経営困難に直面すると日常的に解雇が行われました。

今まで「職を失う」ということがなかったため、とうぜん雇用を支援するような市場も整っておらず、失業者は増加しました(91年7月に職業安定所が設立され、失業手当の給付が始まりました)。

また、賃金上昇率が物価上昇率を大きく下回る状態が続き、企業に勤めてる人も実質賃金(給料で買える物の量)の低下により生活が苦しくなっていました。


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