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ブラジルのハイパーインフレ。インデクセーション制度の罠

今回はブラジルのハイパーインフレ(1980年代)を研究しましたが、とても興味深い結果が得られました。これまで見てきたドイツやジンバブエは“悲惨”という言葉が適切でしたが、ブラジルはそうでもないんです。

たしかに物価は上がっているのですが、物の消費水準(実質経済成長率)を見ると、割と普通に暮らせてるんですよね。

 

・ブラジルの実質経済成長率
[世] ブラジルの実質経済成長率の推移(1980~2011年)

 

これはインデクセーション制度という独特の仕組みがもたらしたものなんです。それでは、ハイパーインフレが発生するまでの過程を見ながら、その説明もしていきたいと思います。

 

ブラジルのハイパーインフレ

1970年代、ブラジル政府は「大規模なインフラ建設」と「輸入品に頼っていた国内供給を“自国製品”に切り替えていくこと[輸入代替工業化]」を経済政策としていました。

この政府主導(国営企業)の事業促進により、ブラジル経済は毎年7~8%の高い経済成長を遂げました。

・ブラジルのGDP構成比

60年70年80年90年
農業17.8%11.8%10.1%6.9%
鉱工業32.2%35.8%40.9%33.0%
サービス業50.0%52.6%49.0%60.1%

(参考)産業部門別GDPの構成比の推移-応用経済研究所

 

しかし、70年代に起こった2つの「オイルショック」がハイパーインフレ爆弾の導火線に火を着けることになりました。

73年の第1次オイルショックで原油価格は1バレル3ドルから12ドルへ上昇。79年の第2次オイルショックで13ドルから36ドルへ高騰し、世界的な高インフレが発生。米国は10%を超えるインフレを抑えるため、金利を一気に20%近くまで引き上げました。

 

ブラジル政府はこれまで、国内の工業を発展させるため、海外(米国6割)から資金[ドル]を借り入れ、海外から製品を作る機械や部品を購入[ドル払い]して、それを国内に投入していました。そして、その借り入れの大部分がドル建て・変動金利型の融資[対外債務]だったのです。

1970年:対外債務残高は約10億ドル
1980年:対外債務残高は約80億ドル

(参考)台頭するブラジル経済-三菱UFJリサーチ&コンサルティング

 

そのため、米国の金利引き上げに伴い、一気に対外債務の利子[ドル]支払いは跳ね上がりました。また、これまでは海外から資金[ドル]を調達できていたので外貨準備[ドル]も増加していましたが、米国の金利引き上げによりその流れも鈍化してしまいました(ブラジルも追走して金利を引き上げましたが、効果はあまりありませんでした)。

また、原油価格が高騰したことで輸入時のドル支払いも増加し、外貨準備は急速に減少していきました。

※当時のブラジルは国内消費の80%分の原油を輸入していました。現在は90%近くを自国でまかなっています。また、輸入代替工業化で、工業製品の国内生産は進んでいましたが、それを作るための設備や原材料は輸入に頼っていました。その結果、幅広い製品でインフレ[輸入インフレ]が発生。

※当時のブラジルは対象相手国通貨と自国通貨のインフレ率格差を考慮に入れて、為替レートを操作するクローリング・ペッグ制を採用。当時はブラジルのインフレ率が相対的に高かったので、基本的に為替レートは急上昇[ブラジル通貨価値の急下落]していました。

 

・外貨準備の推移[単位:億ドル]

78年79年80年81年82年
輸出12715220123320.2
輸入137181230221194
石油輸入42649910696
利子支払27426392114
外貨準備11997697540
実質GDP
(1980年基準)
2,0582,1572,3582,2542,270
債務残高522558642740854

(参考)ブラジルの累積債務問題-東銀リサーチインターナショ

 

また、インデクセーション制度(通貨価値修正制度)を採用していたブラジルは、インフレが発生すると労働者(政府系企業の比率が高い)の賃金水準や社会保障費・国債価額もそれに合わせて上昇してしまいます。

その結果、財政赤字は拡大し、不足分を増刷で補う。これが更なるインフレを引き起こしました。このため、ブラジルのインフレ率は常時高い水準で安定しやすくなっています。

第一次オイルショック以前:15%~20%のインフレ水準
第二次オイルショックまで:30%~50%のインフレ水準
第二次オイルショック以降:100%~250%の水準

※インデクセーション制度とは、賃金、金利、社会保障費、企業資産、債権、債務などを物価の動きに連動させ、インフレによって生じる潜在的な損失(利益)を無くす制度。財政悪化とともに、インフレ率を下回る連動率となり、実質賃金(購買力)は低下。

 

そして82年、同様の状態に陥っていたラテンアメリカの一国メキシコがついに債務返済不能[デフォルト]になりました。これを受け、ブラジル通貨はインフレ率格差を考慮に入れた価値以上に下落(為替レートが大きく上昇)。

その結果、ブラジルの対外債務の返済負担は拡大し、83年以降はIMFの融資を受けて、元本の返済を繰り延べ、利子だけを支払うようになりました。

海外からの資金流入が止まった今、ブラジルが外貨建債務を返済するためには、貿易黒字を拡大させて外貨を得る必要がありますが、これまで長きに渡り自国の保護下で生産してきた製品にはそれほど競争力が無く、輸出主導による貿易黒字拡大はなかなか期待できませんでした。そこで、輸入を絞って貿易黒字を拡大することにしました(しかしその結果、輸入減による物不足が生じ、インフレはさらに加速)。

その後、石油の自国生産、工業設備や原材料の国内生産が進み輸入負担が減ったことや、為替レートがインフレ率格差を超えて上昇[通貨安]したこと、先進国が持続的に成長したことなどから、貿易黒字は拡大していきました。さらに、米金利の低下により、対外債務の利払いも減少したことで、外貨準備は順調に拡大していきました。

 

・ブラジル経済の推移[単位:億ドル]

82年83年84年85年
実質経済成長率0.60%-3.40%5.31%7.90%
物価上昇率104.79%164.01%215.26%242.23%
貿易収支865131125
利子払い1149610296
外貨準備40-120-
失業率6.40%6.70%7.10%5.30%

(参考)70年記録集-ブラジル日本商工会議所
(参考)台頭するブラジル経済-三菱UFJリサーチ&コンサルティング

 

86年2月、このインフレスパイラルを断ち切るため、政府はインデクセーション制度を廃止し、価格を凍結、賃金を抑制、為替レートを固定しました[クルザード・プラン]。この結果、一時的にインフレは収まりましたが、物価に対して賃金水準が高止まりしていたことから消費が活性化し、物不足が生じ、闇市などを通じて再びインフレが加速しました。

また、国内消費が拡大したことにより輸出に回す品物が減少。政府は輸入規制により貿易収支の黒字拡大を図りましたが、輸出減を補えず外貨準備は減少。その結果、87年2月に対外債務の利子払いを停止しました[デフォルト]。

この状況を受け、クルザード・プランは廃止。その結果、品不足に陥っていた物の価格は急騰、為替レートも急騰し、さらなるインフレスパイラルが発生しました。

 

88年に入ると、一転して緊縮財政に転換。小麦の消費補助金の廃止、公務員数削減、銀行に対する法人税率の引き上げなど(ただし、公務員数削減は議会の反発に遭い、計画通り進まず)。その結果、景気は後退するもインフレは収まらず。(輸出に回す物が増えたことと、輸入規制が重なって貿易黒字は急拡大。)

89年1月には、全ての物価・賃金・年金を凍結、為替レートの固定化、国営企業の民営化・公務員の大量解雇など、価格凍結緊縮財政を組み合わせた対策を実施[サマープラン]。

しかし、今回も議会で公務員数削減法案が否決され、物価に対して賃金水準が高止まりしたことから、物不足が生じ6月にサマープランは廃止。その結果、クルザードプラン同様、再びインフレが加速。同年12月に月率50%を超えるハイパーインフレが発生しました。

 

・ブラジル経済の推移[単位:億ドル]

86年87年88年89年
実質経済成長率7.54%3.60%0.26%3.20%
物価上昇率79.67%363.41%980.21%1,972.91%
貿易収支83112191161
利子払い100---
外貨準備674454-
財政赤字--4.3%6.9%
債務残高--1,2011,113
失業率3.60%3.70%3.85%3.35%

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