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日本の戦後ハイパーインフレ。戦時国債と本土空襲

今回は第二次世界大戦後に日本で発生したハイパーインフレを研究してみました。メカニズムはドイツのハイパーインフレと似ていますが、その後の歩み方が大きく異なり、とても興味深いものとなりました。

 

日本のハイパーインフレ(1945年~)

戦争は莫大なる支出(武器、食料、修理、兵士給与・死亡保障など)が伴うにも関わらず、まったくモノを生み出さない非経済的行為です。そして負けた国は、戦後相手国の損失を補償[金銭・資産賠償]しなければならないという地獄のルールがあります。

そして、日本やドイツはこの勝負に負けました。

 

第一次世界大戦でドイツが負けたときは、相手国(フランスなど)から支払い不能な賠償金を請求され、徹底的に国力を搾り取られました。その結果、食糧などの物資不足を伴うハイパーインフレーションが発生し、この苦しみからナチスが台頭。第二次世界大戦へと発展していきました。

この教訓により、第二次世界大戦後、敗戦国には莫大な賠償金が請求されることはありませんでした。これは戦後日本が急速に立ち直れた要因のひとつでしょう。

・日本のGDP
1941年[戦前] 2045億ドル
1944年[戦中] 1974億ドル
1945年[戦後]  987億ドル
戦後処理費用  264億ドル

(参考)第二次世界大戦前・戦中の主要国国力-UNITED DEFENCE
(参考)日本の具体的戦後処理-財務省

 

ただ、それでも政府には、戦時中、資金調達手段として利用した戦時国債の莫大な債務負担が残っていました(1944年の債務残高のGDP比204%)。

(参考)みんなの海外投資
(参考)財政規律と中央銀行のバランスシート-日本銀行金融研究所

 

生産設備に関しては、1944年末から1945年8月15日(終戦)まで、大規模な本土空襲に遭い、大きなダメージを受けました。

※全国で200以上の都市が被災。死者33万人、負傷者43万人、被災人口970万人。製鉄所や軍需工場を有する工業都市は艦砲射撃によっても破壊された。(日本本土空襲-wikipedia

 

そのため税収も大きく落ち込み、財政赤字[歳出>歳入]は拡大。市場から新たに資金を調達しにくくなった日本は、ドイツ同様、国債を中央銀行に引き受けさせる形[裏づけなしの増刷]で財政赤字分の資金を調達。

また、戦後ほどなく軍需関連企業や兵士・遺族などへの支払いが一斉に行われました。

その結果、第一次世界大戦後のドイツと同様、モノと通貨量のバランスが大きく崩れ、45年末にハイパーインフレが発生しました(月率90%ほど。1945年10月から1949年4月までの3年6か月の間に消費者物価指数は約100倍)。

(参考)戦後ハイパー・インフレと中央銀行-日本銀行金融研究所

 

ちなみに、物価が急騰しても国債の返済額は一定のため、政府の債務負担は急激に減少。1946年にはGDP比で56%、50年には10%台にまで低下。

また、戦後フランスに工業地帯を占領されて輸出力をもがれたドイツと違い、日本は1947年から民間貿易を再開。その後、1950年に勃発した朝鮮戦争特需により、多額の外貨を獲得し、輸入力[供給力]が回復。一気に成長路線に転換となりました。

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